群衆の叡智は質問という行為から生まれる(訂正)
テックスタイルの岡田さんのご紹介で、群衆の叡智サミットを聴講させていただいた。僕がいたのは1時間ほどだったけれどとてもとても考えさせられた。
群衆には叡智と狂気があって最近の話題は叡智だ。僕にはまず「群衆の狂気」が頭の中にある。あまり肯定的に考えにくいところがあった。
群衆の叡智論は多分参加された沢山の方が紹介されるだろう。僕にとって、突き動かされるテーマはOKWAVEの兼元さんの意見だった。韓国と日本、中国と日本といった政治的歴史的に大きな志向性の違う環境がある場合、群衆の叡智は働きにくい。
兼元さんによれば、目的の違う人たちが何らかの共有ができるとすればそれは質問という形でしかない。どんなに感情の隔たりがあったとしても、相互に疑問を感じ理解しようとする、質問という行為を持続させることが、知の確かさにつながるといった意見だったように思う。
質問という行為には、理解を促す力、共有する力、他人の行動を促す力があるという意見はとても共感できる。
質問という行為を続けることは、群衆に叡智が生まれなくても、個々人に叡智が生まれる可能性が高いということにも同感だ。その先に大衆の叡智がある。
質問という行為の持つ意味について、大変な勉強をさせていただいと思う。岡田さん、兼元さん、本当にありがとうございます。
(訂正)
群衆の叡智セミナーではなく群衆の叡智サミットでした。summitは首脳会談、頂上会議の意味です。意見を集約するのではなく、一家言ある専門家の意見を拡散して最大公約数を明らかにする会議だったと思います。
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